医療の歴史・ヒ素

今日のように、病原菌を遺伝子レベルで把握し、ワクチンや抗生物質、薬や手術の開発ができるようになるまでに、

 

それこそ神頼みの時代から長い年月にわたる試行錯誤がありました。

 

前回ご紹介した水銀しかり、今の常識では考えられないような医療が有効だと信じられていたケースもありました。

 

そうした先人たちの悪戦苦闘の積み重ねが、今日の最新医療の土台になっています。

 

ただ、それにしてもびっくりを通り越して笑ってしまうような医療がかつてたくさん存在していました。

 

今回は引き続きそうしたびっくり仰天な医療の歴史をご紹介していきたいと思います。

 

■毒物の王・ヒ素

ヒ素、というと、一般的に毒物として認知されています。

 

実際に殺鼠剤にも使われる猛毒なのです。

 

20年前に起きた「和歌山毒物カレー事件」を思い浮かべる方もいるのかもしれません。

 

夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入され、67人が中毒症状を起こし、そのうち4人が死亡した痛ましい事件です。

 
カレー2
 

昔でもヒ素は人殺しのアイテムとして重宝されていました。

 

「毒物の王」「王様殺し」「愚者の毒」と呼ばれ、遺産相続を早めるために親族を殺す「相続の粉薬」というなかなか痺れるネーミングもつけられていたくらいです。

 

人間の場合致死量は100mg程度、わずか数時間で死に至らしめることができます。

 

ローマ帝国の皇帝ネロは義理の弟ブリタンニクスにヒ素を盛って毒殺し、皇帝の地位を盤石なものにしました。

 

ルネサンス期に栄えたメディチ家とボルジア家は、邪魔者がいればすぐにヒ素を盛って暗殺していました。

 

ヒ素が暗殺アイテムとして人気な理由は気付かれにくいからなんですね。

 

毒殺によく使われた三酸化二ヒ素は無味無臭、食べ物に混入しても気付かれにくいし、中毒症状も食中毒に似ているため、毒を盛られたと証明しづらい。

 

ましてや冷蔵庫がなかった時代、衛生管理が行き届いている今と違って、食中毒も頻繁に起こっていたと思われます。

 

要はごまかしやすかったんですね。

 
嘔吐
 

ヒ素は最も発癌性の高い物質でもあります。

 

摂取した際の急性症状として吐き気、嘔吐、下痢、激しい腹痛、口の渇き、下痢などが見られ、

 

慢性症状としては皮膚炎、色素沈着、骨髄障害、末梢性神経炎、腎不全などが見られます。

 

普通の人間ならばあまり近づかない方がいい代物ですね。

 

■太古の昔は外服薬

一方、ヒ素もその毒性にも関わらず、水銀と同じく太古の昔から薬として用いられてきました。

 

皮膚にできる潰傷やイボなどを除去するための塗り薬として使われ、またペニシリンが発見されるまでは梅毒の治療に使われていました。

 
梅毒
 

「サルバルサン」「ビルマルセン」といったヒ素化合物です。

 

ほかに寄生虫疾患の睡眠病(トリパノソーマ症)の治療薬や抗がん剤としても処方されていました。

 

発癌性がたっぷりあるのに抗がん剤として使われていたのはいかにもおかしな話ですが、

 

1800年代半ばに、ヒ素製剤によって白血病の症状が一時的に収まった事例が報告されています。

 

ヒ素もやがて水銀と同じように、具合悪かったらとりあえずヒ素飲もう!

 

という風に万能薬に近い扱われ方をされるようになり、多くの人を慢性ヒ素中毒にさせ、そして死へと追いやりました。

 

発熱、胃痛、胸焼け、リウマチ、強壮剤、神経痛、抗マラリア、つわり軽減に効くとされ、

 

体に注射したり、水蒸気にして吸い込んだり、極めつけはパンにヒ素を塗った「パン薬」を口にする人も・・・。

 
食パン
 

毒は毒なので、摂取すればするほど体の不調をきたします。

 

しかしそうした体の変化も

 

「薬が効いている証拠」

 

だと考えられていた時代でした。

 

『資本論』を著した思想家、カール・マルクスも、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンもヒ素を服用していました。

 
ダーウィン
 

最もマルクスは「頭の働きが鈍くなる」という理由でヒ素の服用をやめたと言われていますが。

 

■人気薬「ファウラー溶液」

ヒ素入りの薬の人気の火付け役となったのが「ファウラー溶液」です。

 

これはトーマス.ファウラーという医師が1786年に調合した薬で、亜ヒ酸カリウムが含まれた溶液です。

 

販売開始から150年の間もっとも人気を博したヒ素入りの薬でした。

 

実は1818年に

 

「この薬の効果は限定的であり、健康リスクを及ぼす」

 

さらに

 

「ビタミンB欠乏症を引き起こす可能性がある」

 

という否定的な評価が薬学界から下されたのですが、それでも使う人は減らなかったようです。

 

■美人薄命の由来?

ヒ素入りの化粧品が中世欧州でブームになったこともあります。

 

きっかけとなったのは現在オーストリアの一部となったシュタイアーマルク州にあった農村。

 

ここの村人たちはヒ素を常飲しており、週に2~3回、パンやラードにたっぷりヒ素を振りかけて食べていたそうです。

 

ヒ素を飲むと性欲が増し、頬の血色がよくなり、体もふっくらして恋人を夢中にさせられると。

 

美しくなるためにヒ素を大量服用した若い女性もいたようです。

 

この村の噂が欧州中に広まり、しまいには「若返りの万能薬」といった、今日だと薬事法に全力で違反するレベルの風評まで現れるようになります。

 

確かにヒ素を飲めば一時的に貧血になり、欧州人好みの青白い肌になります。

 

またヒ素には毛細血管を拡張させる効果があるので、頬に赤みがさして健康的に見えるようになります。

 

さらに19世紀ではヒ素は飲用だけに留まらず、洗顔、サプリメント、ソープ、ヘアトニックなどにも使われます。

 

ただ、ヒ素を摂取し続けると美しくなるどころが逆に肌が黒ずみ、髪の毛が抜け、あらゆる不調が体を襲い、

 

ついには苦悶のうちに命を落とすようになる人があまりに多かったことから、ヒ素を疑問視する声がしだいに多くなっていきました。

 

「美しくなりたいあまりにばかげた死に方をした妻を見て、夫が喜ぶと思うのか」

 

医療関係者からそうした非難も上がっていたそうです。

 

■ナポレオンとヒ素の知られざる関係

フランス革命期に欧州を風靡したナポレオン・ボナパルト。

 

 

彼が亡くなった時、水銀中毒など様々な原因が疑われましたが、頭髪からは高濃度のヒ素が検出されたのでヒ素中毒では?と推測されていました。

 

あるいは彼はヒ素を摂取しておらず、頭髪のヒ素は死後、保存用のために塗られたものとする説もあります。

 

実は彼の死因に関してもう一つ「壁紙説」という説があります。

 

ヒ素は顔料の原料でもあり、ヒ素入りの鮮やかな緑は造花や布地や壁紙の色付けに用いられていました。

 

ナポレオンが幽閉されていた部屋も緑色の壁紙をあしらったつくりのようで、おそらくヒ素が含まれていたのではないかとのこと。

 

壁紙からくずが剥がれ落ちたり、空気中に飛散したりして、長い期間にわたったヒ素が体内に取り込まれた可能性があると言われています。

 

■漢方における薬と毒の哲学

漢方の世界では、薬効の強弱によって上薬、中薬、下薬に分類され、

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上薬は無毒で命を養う。中薬は上薬の働きを助け、体の抵抗力を養うが、有毒なものと無毒なものがあるので、加減して使うことが必要とされる。

 

下薬は上薬と中薬を補佐する作用を持ち、病気を積極的に治療するが毒性が強く、長く服用してはいけない。

 
漢方
 

毒と分かっていながら、毒をもって毒を制すという考えのもと、あえて薬として使うこともあると中国の伝統医学では説いています。

 

こうして考えると薬も毒も表裏一体ですね。

 

薬と人類の歴史は、人体との関係において、薬と毒の適切なバランスを探求する歴史だったと言えるかもしれません。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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