テレビはどこにゆくのか?

■テレビの昔と今

テレビは、正式には

 

「テレビジョン(Television)」

 

なのですが、これはフランス語のtélévision(テレヴィジオン)に由来するそうです。

 

tele-はギリシア語の「遠く離れた」、「vision」はラテン語で「視界」を意味します。

 

「遠くに視界を飛ばす」

 

これがテレビの本質ですね。

 

今やネット全盛の時代で、決まった時間に番組を流すテレビを観るよりも、好きな時間に好きなようにコンテンツを楽しめるYouTubeを観る人の方が多くなっています。

 

昔は一家に一台はテレビがあったのに、今日では一人暮らしの世帯なんかテレビがないところも少なくないでしょう。

 
テレビ
 

またテレビは置いていても、テレビ局から配信されるテレビ番組ではなく、ネットで番組を観るために使っているといった家庭もあります。

 

つまり単なるモニターデバイスとして使っているだけなんですね。

 

2000年代に入るまで、テレビの主な視聴者は流行に敏感でかつ消費意欲の高い20〜34歳の女性、20〜34歳の男性だと言われていました。

 

ところが少子化や経済成長によって、この層たちの影響力は縮小し、さらにこの層のテレビ離れも進んだ結果、テレビのメイン視聴者は高齢者層が占めるようになりました。

 

やがて細ぼりゆくであろうオールドメディアのテレビですが、今回はその歴史について振り返ってみたいと思います。

 
インターネット
 

■テレビ開発の歴史に日本人あり

電子デバイスとしてのテレビの歴史はまだ200年もありません。

 

19世紀にイギリスで明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝えるテレビジョンの開発がなされたのが最初と言われています。

 

信号を遠くまで伝える通信技術、受け取った信号を表示される受像技術など、テレビはいくつものテクノロジーによって構成されています。

 

20世紀に入り、実用レベルにはまだ達しないものの、世界で初めてブラウン管を用いたテレビの送受信実験が成功します。

 

その後、いくつもの技術のブレイクスルーを経て、イギリス、ドイツ、日本でテレビの実験放送が開始され、ドイツではベルリンオリンピックのテレビ中継が行われました。

 

テレビの技術史を語るうえで欠かせない一人の日本人がいます。

 

「日本テレビの父」と呼ばれる

 

「高柳健次郎」

 

です。

 
高柳健次郎
 

「世界で初めてブラウン管による電装・受像に成功した」

 

彼の業績と言えば、これでしょう。

 

映したのはイロハ順の最初の文字である片仮名の「イ」。走査線の数は40本でした。

 
テレビ2
 

今はNHKの博物館でその実験装置を観ることができます。

 

戦争によって研究の中断を余儀なくされますが、終戦後、高柳は日本ビクターに入社し、NHK、シャープ、東芝と共同でテレビの技術を完成させました。

 

高柳による電子式テレビジョンの開発は、米国電気電子学会(IEEE)が「IEEEマイルストーン」に認定しています。

 

これは電気電子技術の分野で25年以上にわたり世界で高く評価を受けてきたという実績があって、初めて認定が与えられます。

 

避雷針の開発に携わったベンジャミン・フランクリンや、

 

モールス信号を開発したサミュエル・モールス、

 

「マクスウェルの方程式」

 

で理科の教科書に載っているジェームズ・クラーク・マクスウェル、

 

電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベル、発明王トーマス・エジソン、

 

といった人類技術史の錚々たる偉人たちと並んで「高柳健次郎」が名を連ねているわけです。

 
挑戦2
 

■テレビ、というビジネスの中身

テレビは音声、活字、映像を同時に発信できる点で影響力がとても高いメディアで、ネットが登場するまでは新聞を凌ぐ最強のメディアでした。

 

まあテレビ局の多くは新聞社から生まれたり、新聞社が株を握っていたりします。

 
新聞
 

日本テレビと読売テレビは読売新聞グループに属していますし、テレビ朝日は朝日新聞社、フジテレビは産経新聞社といったように。

 

ではビジネスとしてのテレビはどんなものでしょうか?

 

テレビ局は、時間と資源を番組という商品に加工し、番組と番組との間に広告枠を添えて販売するビジネスモデルです。

 

その取引先は広告代理店です。

 

実は大禅ビル(福岡市 赤坂 賃貸オフィス)といった不動産と似た収益構造なんですね。

 

不動産は空間に付加価値をつけて売ったり、貸したりする。それに対しテレビ局は時間に付加価値をつけるわけです。

 
大禅不動産研究室
 

この場合、広告を打つ企業は「入居者」であり、広告料金は「家賃」、広告代理店は「不動産会社」に相当します。

 

視聴者が家賃を支払うわけではないので、ケーブルテレビやスカパーでない限り、無料でテレビを視聴できます。

 

収益構造に限定して言えば、番組はあくまで添え物で、テレビ局の売上を稼ぎ、広告主の宣伝効果を直接左右するCMこそ「本当の番組」です。

 

広告主にとって好ましくないのは、視聴者がCM時にチャンネルを替えることです。

 

ですから、なんとか他局の番組に視聴者が行かないよう、視線を引き留めておくために番組づくりに相当の工夫を注いでいるのです。

 

もちろん、番組それ自体に意味がないと言っているわけではありません。あくまで収益構造の話です。

 

会計的に見れば、テレビはメディアであると同時に、「集客+広告装置」でもあるのです。

 

昔、電波メディアがない頃に大規模な集客をしようと思えば、それこそお祭りといった大規模なイベントを催すしかなかったのです。

 
人混み
 

これには人や資材の移動やコスト、継続性のなさといった制限がありました。

 

一方テレビは電波を受送信することで、非日常な空間を低コストで丸ごと移動し、しかも毎日のように行うことができるようになりました。

 

甲子園球場にわざわざ行かなく、野球の試合をお茶の間で観られるようになったのです。

 

さらには録画と組み合わせることで時間の保存や再生も行えるようになりました。

 

■テレビVSファミコン?

不動産業にとって飯の種は物件、つまり空間であるように、テレビ局にとって飯の種は視聴者の時間です。

 

いかに視聴者にテレビに時間を使わせるかがテレビ局にとって重要でした。

 

ところが80年代半ばからテレビ局にとって思わぬライバルが現れます。

 

「ファミコン」

 

です。

 
ファミコン
 

番組は面白いという評価だったにも関わらず、視聴率が低いという現象が起きたのです。

 

ファミコンの登場は、子どもたちの時間を徹底的に奪ったと言えるくらい「遊び」の革命でした。

 

都会の子どものみならず、地方都市の子どもにもファミコンは普及し、それは単にテレビを観ていた子どもたちがテレビを観なくなるだけではありません。

 

ファミコンをするにはテレビを占有しなければいけないので、本当はテレビを見たい親もテレビが観られなくなるという影響もあったのです。

 

「テレビの敵は他局ではない。任天堂だ」

 

危機感を抱いたテレビ局は、広告枠の販売だけでは早かれ遅かれ行き詰まると考え、

 

番組の他局への販売やDVD展開、オンデマンド放送、知的財産化といった二次利用での収入増加を図るようになります。

 

しかし90年代以降、ファミコンだけなく、携帯ゲーム、インターネット、携帯電話、携帯音楽プレーヤー、電子書籍といった

 

「時間の継続使用を要求するメディア」

 

が次から次へと登場し、まさに戦国時代の様相を見せています。

 

さらにネットフリックスやアマゾンプライムビデオのように、広告モデルによらず、
 
Netflix
 

莫大な予算と一流のクリエイターから生み出される高品質コンテンツに特化したサービスも登場し、テレビを脅かしています。

 

日本だとAmebaTVが善戦していますね。

 

時代は変わり続ける!

 

大禅ビルも老舗であり続けるために、守るべきところは守り、変わるべきところは変え続ける勇気を持ちたいと存じます。

 


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